2007.06.21

クジラはなぜ空に向かってジャンプするのか

タイトルの本の文章を、生徒と読む授業をしている。教材文は「クジラたちの声」(中島将行)。
タイトルの本は、教材文の元となった文章が収められている本だ。読んでみて、「教科書にある部分」「教科書より詳しい部分」「教科書にはない部分」と分けていくと、「教科書にはない部分」として、クジラのエコロケーション(音響定位)に超音波が使われていること、クジラの聴覚が非常に優れていること。優れた聴覚には「第二の耳」ともいわれる下顎の骨が大きな役割を果たしていること、などが書かれている。
また、「教科書より詳しい部分」については、「エコロケーション」に使われる音が「超音波」であること、クジラの可聴域がすごく広いこと、メロンと呼ばれる頭骨内の部分が音の受信・発信には大きな働きをしていること、などが書かれている。

この、「ない部分」「書かれている部分」「詳しい部分」というのは、必然的に元の文章を詳しく読み取るようになるので、なかなか良いのではないかと思っている。

さて、次回からは、タイトルの本について、全ての部分を読んでいく予定。どうなるかな〜。

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2006.07.16

S中用語の基礎知識

「パン注」「スバ進」「ゴールデンポッポ」「setルーム」
この言葉の意味がおわかりだろうか。
これらは、私の現勤務校である進明中学校でのみ通用する言葉(の一部)である。

「パン注」とは、「パンの注文」のこと。給食がなくて、弁当を持ってくる日に行われる。
「今日は ーーがあります」のように使う。最初聞いたときには、おもわず聞き返してしまった。

「スバ進」(この表記がいいかどうかも分からない)は、「すばらしい進明中学校をつくるためのアンケート」。
「ーーの集計はいつまでですか」のように使う。

「ゴールデンポッポ」は、合唱コンクールの最優秀クラスに贈られる「金の鳩賞」のこと。
子どもたちは、この賞をもっぱら「ゴールデンポッポ」と呼ぶ。
「ぜったいぜったいーー獲得!」のように使用する。これも、日記に書いてあるのを読んだときにはまったく分からなかった。
いや、今でもなぜ最優秀賞が「金の鳩賞」なのかは分からないままなのだが。

ところで、現在1年生とともに、これら進明中学校独特の言葉を解説する「進明中学校用語の基礎知識」という
小冊子(4〜5ページ)をつくるプロジェクトを、国語科の授業で進めている。想定している読者は、小学6年生。他の中学校にもある言葉でも、「新入生テスト」や「球技大会」など、おそらく小学生にとっては分かりにくい言葉は採り上げるようにしている。

この授業、話す聞く授業の1つとしてなんとなく始めたわりにはけっこう面白くて、途中経過を中3に見せてコメントを書いてもらったり、そのコメントを元に書き直したりと、思わぬ発展をしている。今後も、文化祭で発表したり、来年の1年生に見せたり、改訂作業を来年の1年生でしたりと、いろいろアイディアも浮かんでいる。

授業については、もう少しきちんとまとめて書くつもりなんだけど、とりあえずは、こんな構想があるというところだけ。

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2006.06.01

誤変換はなぜ

こんな授業を構想している。
「ゆかいな誤変換」という本がある。漢字検定協会が募集している「漢字変漢ミスコンテスト」もある。

昨年話題になったのは

「海外に住み始めました」→「貝が胃に棲み始めました」
「イブは空いています」→「イブは相手います」

などであるが、これらの誤変換(変換ミス)はどのように起こるのだろうか。(もちろん、こういうのはネタであることは重々承知しているのであるが)、1つは、「空いて」「相手」あるいはのような同音異義語である。もう1つは、文節の区切りまちがいである。こちらは「言わなくったっていいでしょ」「イワナ食ったっていいでしょうが」などが含まれる。

光村の教科書では2年生で、自立語。付属語と同音異義語が採り上げられている。これを導入に使うことで、少しでも子どもの興味を引きつけられればと思っている。

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2006.05.26

2つの記事を比較しよう

光村の新しい教科書に、「2つの記事を比較しよう」という教材がある。メディアについて考える文章とも関連して、新聞記事のつくりについて考えさせようという教材である。

二つの記事はどちらも、春の訪れが早くて、花が早く咲きすぎ、人々が右往左往しているという内容であるが、Aの方は、主に人事、すなわち人々の困惑に焦点化されている。一方、Bの方は、自然現象、すなわち桜の開花が早まったことに焦点化されており、それによる人々への影響については、Aとは異なりプラスマイナス両方を均等に扱おうとしている。

これが最も典型的に表れているのは写真で、Aの写真は、花見の場所取りをする人たちに焦点が合っている。Bの写真は、夜桜に焦点が合っていて、それを見上げる一人一人はちょっとぼけている。

この授業、グループごとに観点を決めて(見出し、リード、写真、本文など)発表してもらったのだが、なかなか鋭い指摘が多く、じっくり考えさせる値打ちがあると思った。この教材、なかなかよく出来ています!

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2006.05.25

文化を伝えるチンパンジー

2年生の教材に「文化を伝えるチンパンジー」(松沢哲郎)というのが新しく入った。この文章、書き下ろしとは書かれているが、下敷きになっているものはある。『おかあさんになったアイ』(松沢哲郎 講談社 2001)が、それである。教科書本文との比較は、稿を改めて書こうと思っているので、今日は、授業の報告。

一通り内容を理解したところで、疑問点を挙げてもらった。これは、それほど生徒たちの興味をひかないかもしれない、この文章を能動的に読むために、グループで疑問をつくるのがいいのでないかと思ったからだ。それまでも、表と文章の比較や文章の読み取りなどをグループでしてきたので、グループ学習には少しずつ慣れてきている。

本当は調べ学習までいけるといいのかも知れないけれども、内容も理科的であることだし、今回は私の方で調べて説明することにした。以下はその資料の一部。ネタ元はすべて上記の本である。生徒には一部を印刷して分けようと思っているのだけど、blogでその部分は出せないので、それ以外のところだけね。

○どうしてヨという名前なのか?
 『おかあさんになったアイ』を読むと、愛知県犬山市の京都大学霊長類研究所に暮らすチンパンジーは、「アイ」「アユム」「ゴン」「アキラ」「レオ」「クロエ」「クレオ」「パル」「パン」などの名前が付けられていることが分かります。中でもアユムについては「 出産にいたるまで長くかかったので、まわりの人が、健やかに歩んでほしいという素朴な願いを込めて「アユム(歩)」と命名されました。」
と書かれています。
 一方、ボッソウの野生チンパンジーには、「ニナ」「パマ」「ユンロ」「ジュル」という名前がつけられているようです。
 ここからは想像ですが、ボッソウの野生チンパンジーには、アフリカ風の名前が付けられているのではないでしょうか。ちなみに、『森の隣人』によれば、グドールさんは、アフリカのゴンベのチンパンジーに「デイビット」「ゴライアス」「ジュビリー」などの名前をつけています。

○どうして石器でしか割らないのか?
石器使用の対象となっているのは、本文中にあるように「アブラヤシ」「クーラ」「パンダ」の三つです。この実について次のように書いてあります。
「パンダというのは、十キロくらいの重い大きな石でガンとたたかないと割れないほど、ひじょうに堅い殻をもっています。堅さでいうと、パンダがいちばん堅く、クーラ、アブラヤシの順になります。どうやら手とか高いところから落とすとかでは割れないようです。」

○コミュニティAは何を食べているのか?
これも『おかあさんになったアイ』に、ボッソウのチンパンジーの食べるものが書いてあります。アブラヤシの実の他にアオミドロという緑藻類をすくって食べたり、ヤシの木の随を食べたり、ハチのさなぎをほじくり出して食べたりしているそうです。他の地区では、アリつりをして食べるところもあるようですが、ボッソウ付近はアリ釣りはしないと書いてあります。コミュニティAが何を食べているかは、ずばりは書いてありません。しかし、ここから推理すると、、おそらく、ハチのさなぎやアオミドロ、そのほかを食べているのではないでしょうか。(チンパンジーそのものは雑食でなんでも食べるようです。)

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2006.05.03

漢字なぞなぞ

1年生の「漢字の組み立てと部首」という単元。「漢字なぞなぞ」をつくらせる。
象形・指示・会意・形声のうち、会意が問題にしやすいことを説明。
「日の横に月でなんという字でしょう」などのストレートな出題では
なるほど感がないことなどを示して、さらに手直しをさせる。
できた作品は、こんな感じ。

竹を合わせてみると何が分かる? 
人の言ったことはどうする?
目のまえに一兆円。どうする?
重いものを力をこめて押したらどうなる?
木の上に立つ子どもを見ているのは誰?
手で支えるのには何がいる?
白い水はどこにある?
王を見ていたらあるものが・・・。どうした?  

まあ。こんなお¥^j

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2006.02.02

短歌の授業

短歌の授業を、中学2年生の子どもたちとつくろうと構想している。
教材文は、短歌と俳句の両方を扱っているが、来年の教科書では、2年で短歌、3年で俳句となることでもあり、短歌にしぼってやりたいと思っている。

まずは、子ども自身に創作をさせてみたい。「独楽吟スタイルで」「擬態語を入れて」「色彩の歌で」など、課題を決めて子どもに創作をさせていく。これを活動の柱としたい。それと同時に、できた作品をしっかりと紹介する。このことで、子どもたちどうしがまず歌を詠んで交流し合うという場をつかんでほしいと思う。
次に、それぞれの課題について、大人の作品を紹介していきたい。一度つくった作品について考えることで、より深いところへと接近していけると思うからである。

ああ、この部分 うまくかけないなあ。良くないな
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で指導案の形式で書いてみた。それを追加する。
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短歌は、現代において誰もが楽しむものとは言えない。しかし、新聞の歌壇を見ても分かるように、日常でのさまざまな発見や思いを、短歌という形式で表現している人はけっして少なくない。そして、それを支えているのが、大小さまざまな短歌のサークルである。このことを、自分なりの言葉で表現すれば、短歌という文化的実践は、サークルという小さなコミュニティや歌壇という大きなコミュニティに支えられている活動であるということになる。
 そこで、本題材の授業でも、クラスの中に、短歌を表現し味わう小さなコミュニティをつくることから始めたい。具体的には、同じ課題でそれぞれが短歌をつくり、それを教師が紹介するという活動を、題材の1つの柱とし、子どもたちの中に、短歌の形式でコミュニケーションするコミュニティをつくりたいということだ。さらに、プロの歌人の作品(その課題に即した複数の短歌作品)を鑑賞していくことも、もう1つの柱として行っていきたい。
 これら一連の活動を通して、短歌という表現形式を愛し育んでいる人たちがいることや、それが日本文化の貴重な財産であること、自分たちもそれに周辺的に参加してきたことに気づかせたい。

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2006.01.29

言葉を探検する

光村の教科書単元「言葉を探検する」で、ことばの意味について考える授業を、1年生の子どもたちとつくった。

もともとのアイディアは、2年ほど前に見せてもらった、同単元の授業。
ただ、その授業では、教材文の「雪やこんこ、あられやこんこ」(佐々木瑞枝)の中に書かれている、さまざまなトピック「方言」「類義語」「擬態語擬声語」「漢語和語外来語」に、ちょっととらわれすぎているように思ったので、そこのところを自分なりにアレンジしてみた。

この教材文では、「つるつる」 と「するする」、「雪」と「あられ」、「ホテル」と「旅館」と「宿屋」などが採り上げられているのだけれど、それを考えようとすると。どれも微妙な違いをいかに説明するか、ということに行き着く。

そこで、授業では、(辞書を引く)(アンケートをとる)(徹底的に考える)という3つの方法を、あらかじめグループに指示し、トピックを示した上で考えさせたんだけど、この報告が面白いのなんの。
ちょっと例がないとわかりづらいな。資料が手元にないので、この項目、また書き足します。

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2005.09.30

テレビと新聞

ええっと。これも「自分の授業」というカテゴリーに入れてはありますが、教育実習の方と3年生とがつくった授業です。題材はメディア論、教材は「マスメディアを通した現実世界」(光村3年 池田謙一)。

授業は、教材の読み取りのあと、「ある事件について調べようとするときに、テレビと新聞のどちらを使うか」というテーマでの討論と作文へと進みました。感心したのは、立場をはっきりどちらかに決めさせたこと。事件の性格によって違うという子どもに、そのことも含めて、どちらかで書くように促したことです。

テレビを選んだ子どもが挙げたメリットは、
・速報性  もっとも新しい情報が手に入ること
・多様性 さまざまなチャンネルを切り替えて見ることができること
・情報量 映像があるためにより生に近い形で視聴できること

一方、新聞を選んだ子どもの挙げるメリットは
・記録性 さかのぼって見ることができる。
・質の高さ それまでの情報をよく精査して載せてある
・多様性 小さな記事まで含めると、テレビ以上に多くの事件の項目を採り上げている。

最後に、立場を離れてメディアとのつきあい方を考えさせていました。これまで1つの事件について徹底的に調査させてきた私だけど。こういうのもありだなと思いました。

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2005.09.28

ゼブラでリライト2

ゼブラでリライトのつづき

授業は、リライト作品を読むあうことから始めた。
「なんか、気がついたことある?」
「わりと似てるなって思った。」
「どんなところが?」
「ウイルスンさんが腕をけがしていてなんとかっていうことが最初に書いてあって、それからゼブラもけがしていて一緒だみたいなことが次に書いてあって。それで最後に君もがんばれみたいな」

ほかの子にも聞いてみたけれど、同意見の子が多い。実は自分もひそかにそう思っていた。鋭い!みんな。多様な読みがない以上、この話題でひっぱってもしょうがないので、前に「走れメロス」でやったリライトと比較させてみることにした。

「前の『走れメロス』の時のリライトの経験と比べてみてどう?」
「前の方が難しかった。今回は慣れていたからわりと簡単だった。」
「僕は、今度の方が自由がなくって難しかった。」
「自由がないって」
「前は誰で良かったし、想像が自由にできた。でも今回は決まってた気がする。」
「僕は、前のとき、出来事を整理して表にしたでしょ。だから書きやすかった」
「でも、今回はそういう必要ないんだって」
「えーなんで?」
「だって、ウイルスンとゼブラだけの単純な話だから」

うーん、なるほど。授業の流れがウイルスンとゼブラの関係を中心にしていたので、彼にとっては、『ゼブラ』は単純なストーリーに見えたわけね。

授業はそのあと、蛇足と知りつつ、ストーリーとプロットのちがい。それから先日文化祭であった3年生の演劇での作品の再構成(一種のリライト)に触れて、終わった。
いやあ、子どもってするどいなあ。
それに、子どもによる授業のふりかえりって、すごく的確なものなのね。
自分の授業でもぜひやらせてみようっと。

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